『大人になって』 って、もはやなんなんだろう… 間違った人を「子供」とするのならば、 その間違いを正すのが 「大人」の役目ではないのだろうか? 我慢&放任主義が大人の代名詞? 我慢は大切だが、間違いを正してあげることの方がより大切だと思うんですよね。 仮に実際の子供と大人が深く関わる場所 『学校』 を例えにあげたとして 子供が間違いをした。 (ここでいう間違いとはテストや勉学に対しての間違いではなく、道徳的・常識的に。) こういう場合、大人という立場の教師は見て見ぬふりという我慢を強いられるのかな? 違うよね。 正しいことを教えるはずですよね。 まぁ、実際現状では学校内でのイジメなんかを見て見ぬふりする放任的なところもありますが。 間違いを間違いと言えるしっかりとした心が人と人との繋がりでは必要なんぢゃないかと思います。 「なぁなぁで」 「当たり障りなく」 「嫌われたくないから合わせる」 これは無難な人間関係を築くとは思いますがその程度です。 そういう関係の友人が何人いても構いません。 ただ、そうでない人間関係も必要だと思います。 人間関係を深いものにするのなら、なぁなぁでは過ごせません。 感情と感情がぶつかり、お互い主張をする。 あくまで相手を思いやっての言い方・言葉遣いで。 我慢をすること。 世の中たくさんあると思いますが、一方が我慢を続けるだけならば天秤なんてものは崩れてしまいます。 天秤をうまく動かすのも一定にするのも相手のことを思いやり、我慢の中にも改善策を見つけゆくことだと思います。 私が思う 『大人になる』とは。 己を犠牲にし他を救うではなく 他を知ることで己を知ること 他を知ることで他を救うこと 他を救うことで己をも救うこと こういう良い歯車を動かすことで人間関係を築いていくことが 『大人になる』に繋がるのではないかと個人的に思うわけです。 2008.08 [先頭ページを開く] [指定ページを開く] <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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